監修:国立成育医療研究センター 小児がんセンター脳神経腫瘍科 診療部長 寺島 慶太 先生
本コンテンツは、小児の希少がんにおけるNTRK融合遺伝子の検出およびヴァイトラックビ®の適正使用について紹介することを目的として制作しています。
脳腫瘍の診断においては、1979年に初版が発行されたWHO脳腫瘍病理診断分類が長らく用いられており、本分類は古典的な組織学的分類に重きを置いていたが、2016年に発表された第4版の改訂版(WHO2016)1では診断基準に分子検査(遺伝子検査)が加わり、2021年にはWHO2016の流れを汲んだ第5版(WHO2021)2が出版されたばかりである。近年は、脳腫瘍の診断時にIDH1/2や1p/19q共欠失の有無、MGMTメチル化(または発現)の有無、ATRXまたはTP53の変異(または発現)などについて、遺伝子検査が高い割合で実施されるようになっている3。
2019年6月に保険適用の対象となったがん遺伝子パネル検査は、「標準治療がない固形癌患者又は局所進行若しくは転移が認められ標準治療が終了となった固形がん患者」を対象としており、いわゆるメジャーがんと比べて標準治療の乏しい脳腫瘍においては、がん遺伝子パネル検査は良い適応となる。ただし、治療目的という観点においては、がん遺伝子パネル検査によって患者が利益を受けることができる遺伝子変化は、すでに対象となる分子標的薬が承認されているものに限られている。一方で、診断目的という観点では、IDH1/2やATRX、TP53の変異についてはがん遺伝子パネル検査で検出可能であるため、将来的な診断時のがん遺伝子パネル検査の認可が期待される。
脳腫瘍において、成人と小児では認められる遺伝子変化がやや異なることが知られている。小児脳腫瘍に特徴的な遺伝子変化としては、低悪性度神経膠腫ではBRAFV600E変異、FGFR1変異、NF1変異などが、高悪性度神経膠腫ではNTRK1/2/3融合遺伝子、MET増幅/融合遺伝子、ALK融合遺伝子、ROS1融合遺伝子、BRAFV600E変異、IDH1/2変異、TP53変異、H3F3AおよびHIST1H3B変異などが認められている1。このうち、小児脳腫瘍患者に対して投与が可能な承認済の治療薬が存在する遺伝子変化は、現時点では高悪性度神経膠腫におけるNTRK1/2/3遺伝子融合のみであり、検出された場合はTRK阻害薬の投与が検討される。
NTRK融合遺伝子の検出率は決して高くはないものの、神経膠腫においては成人患者に比べ小児患者で検出率が高いことが報告されている。国内外の実臨床下で実施されたがん遺伝子パネル検査のレジストリの解析結果によると、18歳以上の神経膠腫患者におけるNTRK融合遺伝子の検出頻度は0.34%(34/9,885例)であったのに対し、18歳未満における検出頻度は1.16%(12/1,037例)であった2。これらの結果から、小児の脳腫瘍においてはNTRK融合遺伝子の検出の可能性を念頭に、がん遺伝子パネル検査の施行について一度は検討すべきと考える。
また、小児の固形癌患者に対してがん遺伝子パネル検査を含む分子診断の有用性を検討したMOSCATO-01研究の結果によると、脳腫瘍27例を含む75例のうち69例で何らかの分子検査が実施でき、うち42例(60.9%)で”potentially actionable”な遺伝子変化が同定され、14例(33.3%)でその遺伝子変化に応じた分子標的薬(臨床試験、コンパッショネートユースなどでの投与を含む)が投与されたと報告されている(図1)3。現時点ではNTRK融合遺伝子のように承認済みの治療薬が存在しているアクショナブル遺伝子変化は多くないが、有効な治療選択肢が乏しい小児脳腫瘍領域においては、がん遺伝子パネル検査で遺伝子変化の有無を確認することで、進行中の臨床試験への登録やコンパッショネートユースといった医学的介入を患者側に提案できる可能性がある。
紹介した症例は臨床症例の一部を紹介したもので、全ての症例が同様な結果を示すわけではありません。
Ziegler DS, et al. Br J Cancer. 2018; 119(6): 693-696.
本論文の著者にLoxo Oncologyにてコンサルタント等をしている者が含まれる。本論文の著者のうち1名はLoxo Oncologyの社員である。
3歳、女児(外国人)
本症例は、生後5ヵ月時に脳腫瘍と診断された。全摘出後の切除組織の病理学的検査にてHGGと診断され、化学療法が13サイクル施行された。化学療法終了から4ヵ月後に腫瘍床に病勢進行が認められ、腫瘍減量術にてHGGの再発が確認された。6ヵ月後に新たな腫瘍床の腫瘤が亜全摘され、腫瘍床に54Gyの局所放射線療法が施行された。放射線療法終了から3ヵ月後に歩行困難、傾眠、嘔吐、易刺激性が認められ、MRIにて広範囲にわたる進行所見が認められたことから、デキサメタゾン1.5mg/日が投与され、症状管理のために緩和ケア部門に紹介された。
新鮮凍結検体からRNAシークエンス解析が実施され、ETV6–NTRK3融合遺伝子が検出された。コンパッショネートユースによりヴァイトラックビ®の投与が決定された。
ヴァイトラックビ®の投与が100mg/m2、1日2回投与にて開始された。投与開始4週後、嗜眠、傾眠状態、頭痛、嘔吐は消失し、食欲が認められ、明瞭な会話が開始され、デキサメタゾンの投与が中止された。 6週後、患児は1人で歩けるようになり、2~3語文で会話し、活力は正常となった。8週後には、走ったり踊ったりし、新しい単語や言葉を話した(図2)。
治療開始から8週間後に実施したMRIでは、鞍上部腫瘤の造影が消失し、腫瘍床の造影効果は大きく減弱したほか、脳室の転移性結節はすべて改善または消失していた。5ヵ月後のMRIでは、腫瘍床の造影効果および複数の転移病変が消失し、抗腫瘍効果が認められた(図3)。
ヴァイトラックビの投与開始から9カ月が経過した本報告時点で、患児は投与を継続されており、有害事象は報告されていない。
本症例において、ヴァイトラックビ®に起因する有害事象は認められなかった。
21歳以下の進行・再発の固形癌患者を対象とした、ヴァイトラックビの国際共同第Ⅰ/Ⅱ相試験:SCOUT試験(海外データ)*における安全性の概要は以下の通りでした。
*バイエル薬品社内資料[進行性固形腫瘍又は中枢神経系原発腫瘍を有する小児患者を対象とした第Ⅰ/Ⅱ相試験:試験20290(SCOUT試験)](承認時評価資料)
ヴァイトラックビ®は、21歳以下の進行・再発の固形癌患者88例[安全性解析集団、中央値(範囲):3.5歳(0.1~19.9)]を対象とした海外第Ⅰ/Ⅱ相試験SCOUT試験1によって、小児患者に対する安全性が評価されている。安全性解析集団88例中62例(70.5%)に副作用が認められ、グレード3又は4の副作用は17例(19.3%)であったと報告されている。主な副作用は、ALT増加30例(34.1%)、AST増加25例(28.4%)、好中球数減少17例(19.3%)、白血球数減少13例(14.8%)、貧血11例(12.5%)などであり、グレード3又は4で最もよくみられた副作用は好中球数減少8例(9.1%)であった。重篤な副作用は6例(6.8%)、投与中止に至った副作用は2例(2.3%)に認められ、副作用による死亡例は認められなかった。
一般的に、脳腫瘍患者においては①頭蓋内圧亢進症状、②脳内の腫瘍巣が存在する部位に応じた機能が損なわれる局所症状(巣症状)、および③薬物療法や放射線治療による合併症などにより、多岐にわたる関連症状や合併症が認められる。①による症状としては、主には水頭症による意識障害などが挙げられ、さらには①②による神経学的事象も挙げられる。水頭症由来の症状に対してはステロイドや浸透圧利尿剤などの薬物療法による対処をまず検討すべきであり、無効の場合は脳室ドレナージやシャント手術などの外科的治療による管理が必要である。
一方で、TRK阻害剤は神経組織の発達および維持に密接に関与しているTRK経路への影響に起因する神経学的有害事象の発現が特徴的であり、①②由来の神経学的事象と重複して症状がより強くあらわれる可能性があるため、ヴァイトラックビ®投与前後は神経学的事象の把握・管理に努めることが重要である。
TRK阻害剤に特異的な副作用としては、これまでに体重増加、めまい・運動失調、離脱症状、錯感覚などが指摘されている1。ヴァイトラックビ®のSCOUT試験においても、体重増加は4.5%(うちグレード3が2.3%)、浮動性めまいは1.1%、錯感覚が1.1%に認められている2。
ヴァイトラックビ®投与時の神経学的事象の把握においては、医療従事者による確認とともに、患児または保護者への十分な聞き取りおよび指導が重要となる。ヴァイトラックビ®で認められている浮動性めまいや錯感覚については、特に念入りな聞き取りが欠かせない。一方で、神経学的有害事象の管理においては、関連する症状が認められた場合には症状に応じた適切な処置を行うとともに、症状・重症度に応じてヴァイトラックビ®の休薬、減量または投与中止などの適切な処置を検討する必要がある。